クリストファー・コロンブスとは
大航海時代を代表する航海者の一人で、イタリアのジェノヴァ生まれ、
出典 コロンブス
新大陸の発見者として知られる。
大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達した。
アメリカ大陸を初めて「発見」した人と言われることがあります。
ちなみにコロンブスが到達したのは現在のアメリカ合衆国ではなく、西インド諸島(中米あたりの島々)の地域
地理学者 P.トスカネリの説に触発され、西回りの航路でインドに到達する計画を立て、スペイン女王イサベル1世の後援を得て 1492年8月、3隻の船でパロスを出港。
バハマ諸島の一つ、グアナハニ島に到着、これをサンサルバドル島と名づけた。
93~95年の第2回航海でドミニカ,ジャマイカに到達,98~1500年の第3回目にはトリニダードに到達した。
自分が到達した地をインドの一部であると信じたまま没した。
元々、新大陸ではなくインドへの航路を探しており、最期まで自分の上陸した地をインドだと思い込んでいたようです。
しばしばアメリカなどで英雄視される
伝記なども出ています。
イタリア系市民にとって祖国イタリアで生まれ、アメリカを「発見」したコロンブスはヒーローだ。
彼らのプライドの象徴が、マンハッタンにあるコロンブス像だ。
イタリア系のアメリカ人からは特にその傾向が強いようです。
ビジネスや社会貢献活動を本気で取り組むと、本業に集中しろ、サッカー以外のスキルがないくせに、胡散臭いという批判を受ける。
— KeisukeHonda(本田圭佑) (@kskgroup2017) February 24, 2018
その度に「よしよし、まだ未開拓地ってことやな。めっちゃスゲー宝を見つけたる!」って気分になる。
コロンブスもこんな気分やったんかな。
有名サッカー選手からもこんなコメントが・・・
『コロンブスの卵』ということわざも
一見簡単そうなことでも、初めて行うのは難しいというたとえ。
アメリカ大陸の発見はだれでもできることだと批判する人々に対して、コロンブスは卵を立てることを試みさせ、だれにもできないのを見て、卵の尻をつぶして立ててみせたという逸話から
しかし、否定的評価も
その史実を「功績」とするのは侵略した側であるヨーロッパ系の子孫であり、侵略された側の先住民と、奴隷として連行されたアフリカ人の子孫はコロンブスを「残忍な虐殺者」と捉えている。
量的にもスケール的にも、コロンブスは、エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロに並ぶ、虐殺目的で戦争を楽しんだ最も悪名高いコンキスタドール、征服者の一人と言えるだろう。
どういうことでしょうか…
詳しく見てみましょう。
最初の航海での出来事(「新大陸」への上陸)
※イメージ
最初に上陸した島でコロンブス一行は、アラワク族インディアン達から歓待を受ける。
アラワク族は船から上がったコロンブス達に水や食料を贈り、オウムや綿の玉、槍やその他見たことのないたくさんのものを持ってきた。
コロンブス一行はそれをガラスのビーズや鷹の鈴と交換した。
だがしかし、コロンブスの興味は、ただ黄金にしかなかった。
コロンブスはこの島で略奪を働き、次に現在のキューバ島を発見。
先住民族から歓迎を受けるものの、黄金にしか興味の無かったコロンブスはその地で略奪を行いました。
第2の航海での出来事(先住民族への虐殺)
※イメージ
1493年の9月に17隻・1500人で出発したコロンブスの2度目の航海はその乗員の中に農民や坑夫を含み、植民目的であった。
周辺諸島ではアラワク族、タイノ族、ルカヤン族、カリブ族などのインディアンの間で白人の行為に対して怒りが重積していた。
これに対し、コロンブスの率いるスペイン軍はインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行った。
コロンブスがイスパニョーラ島でしばらく病に臥せると、コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。
コロンブスが快復するまでに、5万人以上のインディアンの死が報告されている。
やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。
再び殺戮の船旅に出たコロンブスは、スペイン人の持ち込んだ病いに倒れ非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。
コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった。
コロンブスの蛮行は後のコンキスタドールの時代への端緒となりました。
それ以降
コロンブスがカリブ海諸島で指揮した行き当たりばったりの大虐殺は、「黄金探し」を使命としたスペイン海軍によって体系化され、 あらゆる部族の子供以外のインディアンが、3カ月以内に一定量の黄金を差し出すよう脅迫された。
コロンブスらスペイン人の幻想よりも当地の金の量ははるかに少なかったので、死にたくなかったインディアンたちは、生活を犠牲にして金を捜さざるを得なかった。
1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、1496年の末までに、その3分の1までに減った。
さらに1496年以降、死亡率は倍加していった。
まさしくジェノサイド…
「新大陸の発見」に関する疑問
彼の「功績」と言われる「新大陸の発見」にも様々な異論があります。
ヨーロッパ中心主義的の視点への批判
アメリカ大陸にはこれ以前からインディアンやインディオなどのモンゴロイド系先住民族が一万年以上前から居住し独自の文明を築いていたことを考えると、“発見”という言葉自体がヨーロッパ中心で世界を見る視点に立脚した発言と言わざるを得ない。
「コロンブスがアメリカを発見した」という「功績」については、現代の多文化主義論者たちは、「“発見”などしていない」との見解で一致している。
「功績」に関する批判
ニューファンドランド島のランス・オ・メドーでコロンブスが北米に上陸する以前の年代にヴァイキングが持ち込んだとされる鉄釘を発見した。
これによりコロンブスが「西洋人としてはじめて」「新大陸を発見した」という説は覆った。
また、古代ポリネシア人もおそらく南米に到達し、コロンブス交換以前にサツマイモのような南米の作物を旧世界に持ち込んでいた。
なおコロンブス自身はアメリカ大陸を最後までアジアだと誤認しており、「新大陸」と気づく事は無かった。
その事を考えれば、1492年にコロンブスが「新大陸を発見した」ようにいわれることもおかしいともいえる。
ちなみに「コロンブスの卵」も創作
ヴォルテールは『習俗論』にて「これは建築家フィリッポ・ブルネレスキの逸話が元になった創作だ」と指摘し、会話の内容などもそのまま流用されていると説明した。
ブルネレスキは設計図面も完成模型も見せないまま「私に建築させて下さい」と立候補した。他の建築家たちが大反対したところ、ブルネレスキは「大理石の上に卵を立てられる人に建築を任せてみてはどうか」と提案。
誰も出来なかった中で、ブルネレスキは卵の底を潰して立てた。当然の如く周囲から批判されたが、ブルネレスキは「最初にやるのが最も難しい。もし先に図面を見せたら、あなた達は真似をするでしょう?」と切り返した。』というものである。
そもそもコロンブスは北米(現在のアメリカ合衆国)には上陸してないじゃん!
11世紀以降で、北米大陸を初めて発見したのは、ジョン・カボットという名のヴェネチアの探検家です。
なぜ米国民は毎年「ジョン・カボットの日」を祝わないのでしょうか?
その理由は、カボットがイギリスの旗の下で航海したからです。
本来ならカボットが選ばれるべきでした。彼らの新しい土地に実際に上陸したのはカボットであり、先住民の大虐殺もしていません。
独立を勝ち取った米国の民の誰もが、自分たちをイギリスのために働いた探検家と結びつけたいとは思わなかったのです。
コロンブスの代わりにジョン・カボットを祀っておけば、問題は無かったのかも知れません(´・ω・`)
近年では、アメリカでもコロンブスの評価を見直す向きも
米国では毎年、10月の第2月曜日はコロンブス・デー(コロンブスの日)として、クリストファー・コロンブスが1492年10月12日にアメリカ大陸へ到着したことを祝います。
しかし今日では、多くの都市で10月の第2月曜日は「アメリカ先住民の日」と定められています。
米国の60以上の都市が、コロンバス・デーのかわりに、この日をアメリカ先住民の文化と歴史を称える日とすることを選んだのです。
2017年、アメリカ第二の都市ロサンゼルスでも、ついにこの日は「先住民の日」となりました。
少しでも先住民族の人々がアメリカで明るい未来を描けると良いですね。
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参考リンク
アメリカの祝日「コロンブスの日」にまつわる本当の歴史とは? | ライフハッカー[日本版]
コロンブスの銅像を撤去せよ!~新大陸 “発見”と大虐殺 - wezzy|ウェジー
コロンブス・デーから「先住民の日」へ 銃と病原菌を携えた侵略者たちは何百・何千万人を殺した? - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)