天皇とは
日本国憲法において、国民の総意に基づいて、日本国および日本国民統合の象徴と規定される地位、あるいはその地位にある個人。
また、宗教的には宮中祭祀等を行う神道の長でもある。
天皇の一族を皇族と呼び(天皇は皇族に含まれない)、天皇と一族を総称して“皇室”と呼ぶ。
日本の皇室の歴史上、ほとんどの期間において、天皇は直接的な政治権力を持つことはなく、象徴的かつ宗教的な存在だった。
在位中の天皇は、上皇明仁第1皇子である徳仁。
天皇や皇室に関するマメ知識や誤解をまとめていきます
天皇は外交上の序列が最も高い?
カナダ政府が外交上の社交序列とやらを発表したというのです。政府がそんなものを発表するなんて、にわかには信じがたい話ですね。
元のサイトを探しましたが、現在、オリジナルのサイトは消えてしまっています。しかし、運よくアーカイブを見つけることができました。このページです。
たしかに、Emperor, King, Queen の順で並んでいます。先ほどのサイトの説明だと「上に行くほど序列が高い」と書いてありましたが、本当にそうなのでしょうか?
これはカナダの文化遺産省というところの記事なんですが、タイトルが Styles of Address になっていますね。address は「住所」の意味以外に、「呼称」という意味があります。
つまり、これは格のランキングなんかじゃなく、どうやって呼ぶかという呼称の説明に過ぎないのです。内容も、挨拶の時に何と言って呼びかけるか、なんてことが書いてあります。
で、なんで Emperor が一番上に来ているかというと、おそらくこれは単にアルファベット順です。
Emperor → King → Queen で、アルファベット順に並んでいるだけでしょう。
なんのことはない、これは外交上の社交序列でも、王室の格付けでもなんでもなく、ただ単に各国の国家主席等をどう呼ぶかという呼称を、アルファベット順に説明しているだけに過ぎなかったわけです。
「天皇」という称号は日本独自のものであり、それが Emperor と訳されたからと言って、他国の King よりも偉いと認められたというわけではないのです。
もしも Emperor の権威がその秩序の外にまで通じるのであれば、イギリスの King が、Emperor が統治するムガル帝国や清国を侵略なんかしなかったでしょうし、エチオピアは長いこと皇帝がいましたが、エチオピア皇帝のほうが英国など他国の王より権威があるなんてこともなかったでしょう。
『ガーター勲章』を有色人種で受勲したのは天皇だけ?
ガーター勲章は、1348年にエドワード3世によって創始された、イングランドの最高勲章。正式なタイトルは“Most Noble Order of the Garter”(最も高貴なガーター勲章)
同様の勲章にスコットランドのシッスル(あざみ)勲章があるが、シッスルがスコットランド人か、スコットランドに非常に縁が深い人物のみに与えられるのに対して、ガーターは外国人に対しても授与されている。
明治以後、日本の歴代天皇は「順当に」ガーターを叙勲されていて、明仁天皇も即位後7年目にして叙勲されている。天皇へのガーター叙勲はすでに慣例化されているわけだが、当初は英国側もガーターを出し渋った。
明治天皇への叙勲が実現したのは日英同盟の特殊な二国間関係と日本側が強硬に要求した結果である。本来、ガーター騎士団がキリスト教精神を基盤に据えていることから、キリスト教徒のみを対象とするのが筋であるが、既に非キリスト教徒であるペルシアのシャーに授与された前例が二回あった。
前例があるじゃないかと指摘されて、拒絶できなかったというのが明治天皇へのガーター叙勲への実情である。
れっきとした有色人種の君主への叙勲の例もある。
エチオピア皇帝ハイレ・セラシエへの叙勲だ。
日本の天皇のみが非キリスト教徒あるいは有色人種の中でガーターを叙勲されているというのは明らかに事実ではない。
さらに言うと、これを受勲していることが世界一格が高いことの証明なら、これを与えている英国の方がさらに偉い気がしますが…。とりあえず、これはこじつけだと言っていいでしょう。
初代の天皇は『神武(じんむ)天皇』?
神武天皇(じんむてんのう )とは、古事記・日本書紀に記されている日本の初代天皇である。
神武天皇と言う諡号は、漢風諡号を持たない元正天皇までの44代(弘文天皇と文武天皇を除く)に対して、奈良時代の文人「淡海三船」が漢風諡号を一括撰進して以降呼ばれるようになった。つまり死後に贈られた名称
神武天皇が即位したという辛酉の歳は、そのまま西暦に換算すると紀元前660年であり、同時に弥生時代早期又は縄文時代末期に当たる。
天皇は127歳で死んだというが,実在とは考えられず,史実ではない。
10代崇神天皇と同一視する説もある。
日本書紀・古事記(以下記紀と表記)を参考にしてよいのかは迷っている人が多いのではないでしょうか。確かに記紀は7世紀の芸術性や思想は反映されていることでしょうが、そこに3世紀の事実が反映されているかどうかは分かりません。
大正期の津田左右吉博士が、古代史において史料批判を展開し、記紀の成立過程に関して本格的な文献批判を行い、神武天皇は何らかの史実を反映したものではなく、「皇室が日本を支配するための神話として造ったと理解すべき」と断じた。
初代神武天皇からあとの、第2代綏靖(すいぜい)天皇、第3代安寧(あんねい)天皇、第4代懿徳(いとく)天皇、第5代孝昭(こうしょう)天皇、第6代孝安(こうあん)天皇、第7代孝霊(こうれい)天皇、第8代孝元(こうげん)天皇、第9代開化(かいか)天皇までは、実在しない、すなわち欠けた8代として欠史八代と呼ばれています。
建国記念の日は神武天皇が即位した日?
建国記念の日とは、日本国の国民の祝日で、毎年2月11日と規定されている。「建国記念日」と呼ぶ人もいるが、正確ではない。
「建国記念日」ではなく「建国記念の日」である。「の」の字が挿入されているのだ。「の」の字が入るかどうかで、ニュアンスが異なってくる。ある種の配慮というか、確信をもてないがゆえの、ためらいの匂いが漂っているのだ。
「しらべぇ」というサイトが、今年の「建国記念の日」に、「【悲報】7割の国民が『建国記念日に即位した天皇』を知らない」という記事を掲載した。
紀元前660年の旧暦1月1日に神武天皇が即位し、それを新暦に換算すると2月11日に当たるから、この日が「建国記念の日」になったと言うわけだが、この話は少なくとも二重におかしい。
紀元前660年に神武天皇が即位したという根拠は、きわめて恣意的なものでしかない。『日本書紀』では「辛酉(しんゆう、かのとり)の年」に即位したということになっている。
だが、日本書紀に記された初期の天皇たちの在位年数は、まったく信用できない。
神武をはじめ、古代ではおよそあり得ない長寿の天皇が連続している。死亡時の年齢が信用できないとなれば、当然在位年数も信用できない。
つまり、神武が即位したとされている「辛酉」年が紀元前660年だとは考えられないのだ。年が違うのだから、「春正月の庚辰の朔」が新暦の2月11日に当たるとする根拠もないことになる。
「建国記念の日」が、「神武天皇が即位した」とされている日に由来しているのは事実だが、神武は「天皇」などではなかったし、従って「即位」もしていない。
さらに、神武紀の言う「辛酉年」は紀元前660年ではないので「春正月の庚辰の朔」を新暦2月11日とする根拠もない。要するに、すべてが架空の作り事なのだ。
だから、「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」という問いへの正解は、「そんな天皇はいない」なのである。
最終的に、史実に基づく建国された日とは関係なく、たんに建国されたという事実をお祝いするという考えのもと、「記念日」ではなく「記念の日」となりました。
皇室の歴史(皇紀)は約2600年?
皇紀とは、日本の初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする日本独自の紀年法。
正式名称は「神武天皇即位紀元」であり、皇暦(すめらこよみ、こうれき)、神武暦(じんむれき)、神武紀元(じんむきげん)、日紀(にっき)とも言う。
神武天皇即位紀元の元年は西暦紀元前660年に相当するが、この根拠となっている『日本書紀』の紀年は信頼性に疑問符が付き、神武天皇が西暦紀元前660年に即位したことを歴史的事実とするには歴史的証拠に欠けるとされている。
政治家の中にも「2600年の伝統を誇る皇室」云々と発言してる人がいたが、こういう間違った「歴史認識」は危険ですらある。
出典 皇紀2600年という大嘘
「天皇王朝の誕生はせいぜい5-6世紀」であって、「紀元は1500~1600年」であろう。約1000年以上もインチキしている。
要するに、「皇紀」というものは、「近代の発明」の1つだといっても差し支えないだろう。「近代天皇制」とともに始まったのである。江戸時代には存在しなかっただけでなく、明治時代でもあまり使用されていなかったようだ。
「建国記念の日」も、文献的な根拠ははっきりしているが、神話はあくまでも神話であって歴史ではない。歴史的根拠がないと言われたら、それでおしまいの話なのだ。
これを飛躍させて「日本の年齢は2600歳」という風説もあるようです。
天皇は万世一系!
万世一系(ばんせいいっけい)は、永久に一つの系統が続くこと。多くは皇室・皇統についていう。
「万世一系」という言葉は、古事記・日本書紀にはない。明治維新以降「強調」されはじめた言葉である。
『開戦の詔書』それから『戦陣訓』で、そのときに「・・・万世一系・・・」と言っています。だから、このように相手である国民や兵士に対して「死を惜しまず行け!」と言う。なぜならば「・・・万世一系・・・」だからと、相手を駆り立てる時に使われる役割のようです。
一口に「万世一系」と言っても、その考え方は一つではないようだ。
より穏当というか、一般的な説は、日本では歴史の初めから王朝の交代がなく、同じ王統がずっと続いているから「万世一系」だ、というものだ。
しかし、こちらの説も極めて怪しい。
三王朝交替説は、三つの血縁関係にない王家が、次々に君臨したという。
仮説では、記紀の天皇の代数の表記に合わせると、第10代の崇神天皇、第16代の仁徳天皇、第26代の継体天皇を初代とする3王朝の興廃があったとされる。
多くの学者は、崇神天皇、応神天皇、継体天皇の三つの政権が登場したことに関しては、認め合っている。
武烈(25代)から継体(26代)への代替わりなど、まず王朝交代と見て間違いない。
継体は、古事記によれば応神天皇(15代)の五世の孫、日本書紀によれば六世の孫、とされている。確かに一応過去の天皇の子孫ということになってはいるが、これほど世代の隔絶した継承は異常だ。
平将門は桓武天皇の五世の孫。継体が天皇になったというのは、平将門が天皇になったのと同じようなものなのだ。
継体天皇が応神天皇五世・六世の孫だから、天皇家も「男系」の家系である。そのような主張をするのなら『古事記』の七十七パーセントのどの豪族を持ってきても天皇家になれる。平清盛や源義朝を天皇にしても、何の差し支えもない。
「万世一系」について、(中略)Y染色体がどうかとか、だから「男系」でなければと問題だと論じ、さらにそれを引用して論じているが、これはとんでもない話である。生物的に言うのならば、これは全員われわれが「万世一系」である。
人間である以上、誰でも親、その親と辿っていけば、必ず悠久の過去の人類発祥までたどり着く。途中一世代どころか一瞬でも断絶があれば、その人間はいま生きてはいない。人間であれば誰でも、現生人類の誕生以来約25万年と言われる歴史の中を、連綿と命を受け継いで来たのだ。
問題は「万世一系」というのは生物学的概念ではなくて、天皇家が古代からずっと日本の中心権力者であり続けてきた。あるいは権威者であり続けてきた。そのような前提の話である。
天皇は日本国の象徴?→ホント。ただしその地位は「国民の総意」に基づく
第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く
天皇が「象徴」の地位にあること、また今後もそうあり続けられるか否かは主権のある日本国民の総意に基づいて決定されるという規定であり、象徴天皇制、国民主権を規定するものとなっている。
天皇の地位は主権者である国民の総意に基づいており(第1条)、「国民の総意によって天皇制度を改廃することが可能」となっている。
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参考リンク
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